JR巣鴨駅から徒歩1分の距離にあるこのカプセルホテルは2015年12月オープンの比較的新しいホテルだ。
同場所には1989年からカプセルホテルがあり、当初はフレスイン巣鴨という名前だった。その後クリアイン巣鴨と名称が変更された後、運営会社が現在の(株)ミドルウッドとなり、グランパーク・イン巣鴨として現在に至っている。
2015年11月には大規模な改装が行なわれ、内部はとてもスタイリッシュな近未来的空間となっている。
(株)ミドルウッドは全国で14のホテルを運営しており、そのうち3件がカプセルホテル。10件がリゾート&ビジネス系ホテルだ。
来年2018年には千葉県柏市の南柏に新たにグランパークホテルパネックス南柏がオープンの予定だから、合計15施設となる。
グランパーク・イン巣鴨か北千住、どちらに泊まるか迷ったら
上野駅周辺で用事があり、手ごろな価格で宿泊施設を探すとなると、上野駅と北千住駅と巣鴨駅のほぼ中間である。どちらに泊まるべきか迷うところではある。同じグループのホテルとは言っても個体差はあるものだからだ。
駅からのアクセスは巣鴨のほうが少し近い。JR巣鴨駅の南口出口から150メートルである。都営三田線を利用した場合はA2出口から150メートルでJRとほぼ同じ距離だが、白山通りを横断する必要がないので信号待ちは回避できる。
一方、北千住は、JR、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレス、東京メトロ千代田線の駅が利用できるのだが、千代田線の1番出口を利用すると出口から200メートルだから、信号待ちがなければ巣鴨と大差はない。
宿泊料金はグランパーク・イン北千住より巣鴨のほうが安めの設定である。自分が巣鴨に宿泊した土曜日は、朝食付きエコノミーで3,700円だったが、同日北千住は4,500円であった。
施設は、浴室、サウナ、休憩室は巣鴨が北千住の2倍近く広いように感じた。
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客室は巣鴨も北千住も二段式カプセルだが、北千住のような幻想的な落ち着いたダークブルーのお洒落なライティングは巣鴨にはなかった。清潔感は巣鴨にも北千住にもあるのだが、巣鴨はどことなく簡素な雰囲気がある。
セキュリティ面では北千住が各フロアがカードキー式でロックされているのだが、巣鴨にはフロアごとのロックはない。
最も大きな違いは、巣鴨のグランパーク・インが男性専用だということだ。女性専用フロアがある北千住のほうが全体的にお洒落な雰囲気である。
グランパーク・イン巣鴨周辺の歴史的背景
グランパーク・イン巣鴨が位置する巣鴨一丁目と言えば、徳川将軍家の最後の将軍、徳川慶喜(ヨシノブともケイキとも呼ばれる)が晩年を過ごした場所として有名である。慶喜がこの地に住んでいたのは1897年(明治30年)から1901年(明治34年)までの4年間である。
1903年4月に池袋駅が開業し、当時の豊島線、つまり現在の山手線の池袋駅と田端駅間がつながった。
線路は徳川慶喜が住んでいた敷地のすぐ北側を通っている。静かな環境を好んだ徳川慶喜は、鉄道が開通すればその音で、自分の趣味への没頭を妨げられると予想して、早めにこの地から文京区小日向、現在の文京区春日二丁目へ引っ越したのだろうか?先見の明にすぐれた慶喜なら考えそうなことである。
引っ越し先の小日向の家の跡に建っている石碑の北東方向150mのところに丸の内線が通っている。丸の内線は1942年(昭和17年)に工事が始まり、1954年(昭和29年)に開通している。徳川慶喜が亡くなってから41年後のことである。慶喜が居住地として選んだ場所は、交通の要所だったから、後に鉄道が近くを通ることになったのだろう。
しかし、実際にグランパーク・イン巣鴨に泊まってみると山手線の音は全く聞こえない。とても静かである。
徳川慶喜が趣味としていた写真だが、現在でも残っており、写真集として発売されている。『将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集』朝日新聞社、『徳川慶喜家カメラマン二代目 (角川oneテーマ21)』角川書店、の二冊である。どちらも徳川慶喜の曽孫のプロカメラマン徳川慶朝氏による著作である。
19世紀末の東京の様子を写真で見られる貴重な記録である。
写真が撮られてから100年以上になる。写真を見ながら、20世紀の東京に思いを馳せてみるのも楽しい。
【追記】2020年10月11日よりグランパーク巣鴨は休館している。その後2022年7月1日に閉館となった。詳細は以下のFacebookアカウントを参照されたい。
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