葛飾区の亀有駅の周辺には宿泊施設がないと言われている。本当だろうか?確かにホテルと検索するとヒットしないかもしれない。では旅館というキーワードで検索してみるとどうだろうか?
実は立派なビジネス旅館があることがわかる。亀有駅の近くに宿泊施設があったのは意外だった。穴場と言えるかもしれない。
名前にはホテルという名前はつかない。ビジネス旅館である。名前からは和風のビジネスホテルを連想させられるが、いったいどんなホテルなのだろう。
早速行ってみた。

亀有駅南口を出るといきなり〒125-0061 東京都葛飾区亀有3丁目25 亀有警察署 亀有駅南口交番の隣に両津勘吉の祭り姿像がある
もくじ
亀有駅近くにあるビジネス旅館ほてい屋
「ビジネス旅館ほてい屋」である。亀有駅の改札から350メートル、徒歩5分の距離にある。ちなみに亀有駅の改札は一つのみで、改札を出て右が南口、左側西口になる。駅の作りもとてもわかりやすい。南口のロータリーの駅から見て左の角にあるマクドナルドと東京三菱UFJ銀行の間にある商店街「ゆうゆろーど」を直進して200メートル進むと左手に亀有郵便局がある。そこまできたら、郵便局の隣の建物の角を左折する。50メートル進んだら左折して、20メートルで「ビジネス旅館ほてい屋」に到着である。

ビジネス旅館 ほてい屋
注意する点は、郵便局がこじんまりしているのであまり目立たないことである。うっかり通り過ぎてしまうこともあるかもしれない。
郵便局の先の曲がり角の右手に、亀有出身の漫画家、秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の「少年 両さん像」が立っているのだが、郵便局の前からだと建物の死角に入っているので見えない。

少年 両さん像
ゆうろーどの入り口から数えて5本目の曲がり角に来たら右を見る、するとそこには「少年 両さん像」がたっていたなら正解である。
「少年両さん像」は、全部で15体ある「両津勘吉像」のうちの1つである。少年時代の両さんだから他の「こち亀銅像」より背が低いので見落とさないようにしたい。
ビジネス旅館ほてい屋の施設について
ホテルの玄関には左側に石灯籠、右側には中国の伝説的な仏僧で、日本では七福神の一つとして知られる布袋(ほてい)様の石像が立っている。
旅館と言うだけあって入り口から和風な趣きである。

ほてい屋 玄関前のほてい様
部屋も全室和室、つまり畳の部屋のみである。
また、朝食、夕食とも、食事は提供していないので、外食するか持ち込んで食べるかどちらかになる。周辺にはお店はたくさんあるので困ることはない。
利用にあたって注意することは、まず予約である。ホームページはあるのだが、ウェブからの予約は受け付けておらず、電話での予約のみである。
また支払いは、現金のみなので、ここにも注意したい。
ホームページもあるので検索してみるとこのホテルはちゃんと出てくる。ただし、ホテルでは検索にヒットしないため、旅館で検索する必要がある。
また、台東区日本堤に「エコノミーホテル ほていや」というホテルがあるが、亀有のほてい屋とは別の施設である。ネットで電話番号や住所を検索するときは、「亀有、ほてい屋」のキーワードで検索するとよい。
ホテル周辺の歴史と環境
現在JR亀有駅を中心として街は発展を見せている。しかし、亀有駅が開業した1897年(明治30年)当時は、このホテルの120メートルほど南の都道467号(江北橋通り)線沿いが亀有の中心であった。そして、名称は亀有村であった。
ホテルの南の江北橋通りを東へ200メートル進み環状7号線(環七通り)を渡り、さらに250メートル進むと中川橋がある。
この橋は鉄道が開通する前は通行料金がかかる有料の橋だった。橋を渡ると、亀有よりも当時は栄えていた新宿(にいじゅく)に入り、国道6号線に合流する。
亀有駅は当初の計画としては、この新宿(にいじゅく)に駅を作る計画だった。ところが、中川橋は明治天皇の行幸のために地元の亀有村と新宿町の住人がお金を出し合って作ったものだった。新宿町に鉄道の駅が出来てしまうと、通行する人が減って通行料収入が減ってしまう。という地元の反対意見があり、現在の亀有駅の位置に変更されたという経緯がある。
亀有駅の西800メートル付近で北側に線路がカーブしているのは駅の位置の変更が関係している。
中川橋が出来る前は、船で中川を渡っており、新宿の渡しと呼ばれた。そして橋が完成すると通行料金をとる橋ということで、賃取り橋と呼ばれたりもした。
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