東京都台東区を観光するのに、めぐりんはとても便利な交通手段だ。
めぐりんは台東区が日立自動車交通と京成バスに運行を委託している循環型のコミュニティバスである。
もともとは2001年に浅草を中心として運行を開始したが、2016年現在、東西めぐりん、北めぐりん、南めぐりん、ぐるーりめぐりんの4系統が台東区内を循環して走っている。
停留所の数は131箇所もあるので、台東区内のどこへ行くにも便利である。
もくじ
めぐりんは一方通行の循環バス
めぐりんは一方通行の循環バスなので、停留所は近くても遠回りをしなければならない場合もある。山手線のように、同一路線の内回りとか外回りはないのだ。新宿駅からから渋谷駅へ行くなら、内回り、つまり反時計回りで行くのが近いが、外回り、つまり時計回りで行かなければ行けないようなものだ。内回りと外回りでは倍以上の所要時間の差がある。めぐりんの運行距離は、最短が南めぐりん(45分、7.2km)、最長が東西めぐりん(90分、14.1km)だから、逆回りに乗ってしまうと隣の停留所でも相当の時間かかってしまうので気をつけたい。
めぐりんの乗り換えシステム
しかし、バスはローカルな地理に詳しければとても便利な交通手段である。台東区循環バスめぐりんには、一回まで乗り換え無料というシステムがある。乗車するときに、均一運賃の100円を支払うのだが、その時運転手さんにその旨を告げ、乗り換え券をもらっておけば一回までの乗り継ぎは100円で済んでしまうのである。
この際、注意しなければならないことは、ぐるーりめぐりんからの乗り換えである。路線図を見るとわかるのだが、ぐるーりめぐりんは、北めぐりんや南めぐりんのバスルートと重なっている。しかも方向が逆である。停留所も、停留所名は異なるが、ほぼ反対車線側に設置されている。
しかし、これを利用して任意のぐるーりめぐりんのバス停で降りて、北めぐりんで戻ることはできないのである。別途一回の乗車賃100円を払えば戻ることはできるが、一回無料乗り換えは使えないということだ。ぐるーりめぐりんを利用した場合、浅草駅と台東区役所から東西めぐりんへの乗り換えのみが一回無料となる。
ぐるーりめぐりんから北めぐりん、南めぐりんへの無料乗り換えはできないので注意が必要だ。ぐるーりめぐりんから無料乗り換えが可能なのは東西めぐりんだけで、停留所は二箇所のみということである。
東西めぐりん、北めぐりん、南めぐりんも無料乗り換え停留所は限られているので、あらかじめ知っておくとよい。
初乗り100円で一回無料乗り換えができる停留所は、
・台東区役所(南めぐりん、北めぐりん、東西めぐりん、ぐるーりめぐりん)
・上野学園(南めぐりん↔︎東西めぐりん)
・生涯学習センター北(北めぐりん↔︎南めぐりん)
・浅草駅(北めぐりん、東西めぐりん、ぐるーりめぐりん)
・上野駅・上野公園(東西めぐりん 浅草方面行き、東西めぐりん 谷中方面行き)
以上5ヶ所となる。
めぐりん一日乗車券の特典
めぐりんを1日に3回以上乗るなら、一日乗車券がお得だ。買い方は乗車時に運転手さんから直接購入する方式だ。日付スタンプが押さえたカードをもらえるので、乗車時にそれを見せれば同一日なら何度でも乗り放題となる。3回だと300円でその都度100円を払うのと変わらないが、樋口一葉記念館、書道博物館、朝倉彫塑館、下町風俗資料館の見学の際、乗車券の提示で、団体料金での入館ができるという特典もある。
樋口一葉記念館の一般入場料は300円だが、団体料金の200円で入場できる。
樋口一葉記念館を訪ねる
めぐりん一日乗車券を購入して、北めぐりんで樋口一葉記念館に行ってみた。浅草駅から23分である。
都バスの停留所も付近にはあるが、めぐりんの停留所には一葉記念館という、わかりやすい名前がつけられているが、都バスを利用してアクセスすると竜泉バス停下車となる。
樋口一葉(1872-1896)は明治時代を代表する日本の作家だが、代表作は『たけくらべ』である。樋口一葉がこの地に住んだのは10カ月ほどだったというが、その時期に『たけくらべ』の着想が得られた言われている。
それは、駄菓子屋を経営していたからだ。駄菓子屋には子どもたちがたくさん集まる。その子どもたちとの会話がある。樋口一葉にとっては、駄菓子屋での子どもたちとの交流自体とても楽しいことだったに違いない。
作品のタイトルの「たけ」とは身の丈のことで、現代語にすれば「背比べ」となる。
みな子ども時代には兄弟や友人と背比べをした経験があるに違いない。
まさにこの作品もそんな、子どもたちの成長を描いたものである。
成長期の様々な経験が台東区のこの土地を背景に描かれているが、樋口一葉記念館には『たけくらべ』の草稿が展示されている。それを見るとかなりの推敲を経て作品が完成に至ったことが察せられる。
『たけくらべ』という作品の特徴は、当時として小説の舞台になることが無かった台東区竜泉寺を舞台にしているという点と、和歌の影響を受けた繊細な心理描写が小説の中に織り交ぜられていることである。
小説の最後の一文を引用すると、
『或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林がくりんに袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。』とある。
現代語にするなら、
「ある霜が降りた朝、水仙の作り花を格子門の隙間に挟んで置いた人がいた。誰かはわからないが、美登利は何となく懐かしさにかられて、仏壇の花瓶に挿して淋しく清い姿を眺めていたが、風の噂では、その日は真如が僧侶になるための学校に入る前日だったとのことだ」といった感じになるだろうか。
美登利と真如は『たけくらべ』の主要登場人物だが、真如が僧侶になるために家を出たところで話は終わっている。
現代語に置き換えると、原文の持っている繊細さが失われてしまうようだ。句点の間隔が長いにもかかわらず、読点でうまくリズムをキープしているので読みやすいのも特徴だ。
『たけくらべ』に登場するお寺は台東区竜泉1丁目21−17の「大音寺」であることは間違いないが、育英舎という学校は存在せず、一葉のフィクションである。
雑貨屋、駄菓子屋は10カ月で閉店してしまったが、樋口一葉記念館には、その店の仕入れ帳が展示されていたりして興味深い。
昔はこの土地には駄菓子屋がたくさんあって、競争も激しかったはずである。
樋口一葉の暮らした場所
樋口一葉記念館から徒歩3分ほどのところに飛び不動前交差点があり、そこから至近距離に樋口一葉旧居跡がある。この交差点には台東竜泉郵便局があって、その斜向かいの駐車場から西に10メートルほどの場所に碑がたっており、簡単な案内板が設置されている。国際通りからのアクセスだと、竜泉交差点を東に曲がって70メートルの場所である。碑が立っている場所から東に6メートルの位置に一葉の経営していた雑貨屋、駄菓子屋兼自宅があったとの解説がある。もちろん、その駄菓子屋の建物はない。レプリカが一葉記念館に展示されているが、質素なこじんまりした長屋と言った感じの作りの家である。長屋の右半分は人力車屋であったようだ。
そのためか一葉記念館の前の一葉記念公園には、人力車の形をしたベンチがある。
10カ月の竜泉における暮らしだったが、後に書かれた傑作はこの経験がなかったら生まれなかったはずである。
現在、駄菓子屋はこの周辺にはないが、一葉の名前を冠したお店は多い。
一葉が残した作品が世間に与えた影響も、また逆にこの土地が一葉の作品に与えた影響も同じように大きかったのだ。
24年間という人生において、決して10カ月という期間は短くはなかった。
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