デリリウムカフェではポテトをよく食べる。ベルギー産の品種を使ったフライドポテトで、ハンバーガーショップのポテトとは一味違う。
じゃがいも本来の旨味が凝縮されていて、これが結構クセになる。
毎週通ってしまうほどである。
ベルギー産のフライドポテトはベルジャンフリッツ(BELGIAN FRITES)と呼ばれる。そして、フライドポテトの発祥地はベルギーなのだとか。
デリリウムカフェは全国各地にある。 メニューは各種あるが、ビーンチュ(bintje)というフライドポテト専用のじゃがいもを使ったベルジャンフリッツ(フライドポテト)が一番のオススメ。カットの仕方や揚げ方も長い伝統から生まれた工夫が施してある。食べてみないことにはその美味しさはわからないもの。まずは食べてるしかない。
フリッツはベルギーの主食とも言える。ベルギーに行けば、フリッツはどこに行っても食べられるようだが、日本ではまだフリッツの店は少ない。デリリウムカフェがその代表というか、先駆けだと思う。
もちろん本家はベルギーのブリュッセルで、オープンは2004年だったそうだ。
比較的新しいが、フリッツの歴史はそれをはるかにさかのぼる
もっとも古いフリッツ屋は19世紀前半のベルギーフランダース地方のアントワープにまでさかのぼる。
もくじ
ところで、デリリウムって何?どんな意味?不思議な響きの言葉だけど
何度も赤坂や新宿のデリリウムカフェには食事に行ったのだが、「デリリウム」ってどんな意味なんだろうと疑問には思わなかった。
デリシャスのデリ?とても美味しいとか、デリケートのデリ?その程度の認識でしかなかった。
そんな時、アメリカの作家、ローレン・オリバー(Lauren Oliver)のDelirium『デリリウム17』という本に出会った。
内容は、デストピア(ユートピアの逆)小説で、未来において、恋愛は病気とみなされるようになり、ある一定の年齢になると恋愛という病に冒されないように外科手術を受けねばならない。しかし、その手術を受けても治らない人の物語といったところだった。
確かに恋愛は素晴らしいものだけど、裏には失恋があったりもする。
デリリウム(delirium)という言葉にもそんな二面性もあるのかもしれない。
「美しく、素晴らしい陶酔を伴う体験である反面、リスクがある行為、社会的に抑制が必要とされる状態」
このローレン・オリバーの小説の内容からデリリウム(delirium)は上記のように解釈できる。
英和辞書には、有頂天とか無我夢中といった訳が載っている。せん妄状態とか、錯乱状態といった訳もある。
あまりにも有頂天になればリスクも当然あるだろう。
『病名は愛だった』という歌があるけど、この小説を思い起こさせる歌詞である。
YesイエスのThe Gates of Delirium(『錯乱の扉』)における「デリリウム」
プログレッシブロックバンドのイエスにThe Gates of Deliriumというタイトルの曲がある。1974年発表のアルバムRelayer『リレイヤー』に含まれている。邦題は『錯乱の扉』
扉が英語でGatesと複数形をとっていることから、この上なく魅力的な世界がいろんな扉の向こうあるのでは? と思って次々に扉を開けて中に入る。しかし、それの魅惑的な世界は錯覚であり、それに気付いた時には元に戻る道がないといった感じの意味だと感じた。
YouTubeで聞いてみたが、歌詞にはdeliriumという単語は出てこない。
歌詞は以下のサイトを参照。
歌詞の内容は、戦いの正当化から、戦いへの懐疑へ、そして神への祈りへと変化する意識の流れを描いているものだった。
歌詞の中から何箇所か引用して考えてみる。
“Reminded of an inner pact between us”(我らの内なる協定を忘れるな)
と第1節にあり、
“As leaders look to you”
(戦いの指導者たちは君たちを頼りにしているのだから)
と歌詞の第2節にある。
そして第8節には、
“The pen won’t stay the demon’s wings”
(悪魔の翼の上ではどんな交渉や協定の努力も破棄される)
※ここでの”The pen” は戦いの終結のための努力としての、交渉と協定を象徴。
よって第2節にある”leaders”(戦いの指導者達)が悪魔であったこと示唆される。
第5節の、
“Our Gods awake in thunderous roars”
(我らの神々は轟き渡る咆哮をあげて目覚め)
において、Godが複数型のGodsになっていることから、ここでの神は異教の神であり、キリスト教的思想では、人を惑わすもの、しいては悪魔を象徴するものと考えられる。
このように、悪魔を人間だと錯覚したり、指導者達を神々として誤認したりしてしまう錯乱状況が歌われた後、静寂の中に未来への祈りSoonが歌われる。シングルカットされた曲でもある。
印象的な歌詞は、
“And wait here for you”(そして神をここで待つ)
ここでの”you” は第2節に出てくるる”you”(一般的な人々、あなた達)ではなく、Godである。
“Our reason to be here” (それこそ我らがここにいる理由)
そして、Soonのキーワードは”light”である。”light”はキリスト教文化圏では特に神自身、神の栄光、神の御手の業(救い、慈悲、奇跡)を 象徴するものとして受け入れられている。
The Gates of Delirium(邦題『錯乱の扉』)全体を通して聴いての私的な感想だが、世界には、個人の人生の破綻、社会の狂乱や経済的破綻、国家内での内乱、または個人の内面的葛藤など、その内部に飲み込まれた者たちにとっては逃れる術がない絶望的な混乱状況に通ずる扉がたくさんある。しかし、それらは神の眼から見ればDelirium(錯乱、幻惑、情動に支配された危機的な感情の高まりなど)にすぎない。といったところだ。
作詞者の一人であるイエスのJon Andersonは、2001年のアムステルダムにおけるYesのシンフォニックライブにおいて、この曲を発表した当時1970年代の狂気(craziness is going on)や、いたるところにおける経済生活の破綻(business corruptions everywhere)と戦争(wars)は今日の状況にとても似ているが、戦争が世の中を動かすのではなく(war is not leading)、「light」こそがさらに強い力を持つ(light is more powerful)とThe Gates of Deliriumのコンセプトを紹介した後、演奏を始めている。
デリリウムカフェでディナーを食べながら”delirium”について考える
普段何気なく通っているお店でも、その名前についてよく考えると思わぬ発見があり面白いものだ。辞書だけでは分からない意味がわかったりする。
新宿の「プティデリリウムタップカフェ」でイベリコ豚のステーキをベルジャンフリッツと一緒に食べながら感じたのは、普通じゃない美味しさ、つまり超美味しいということ。メチャ美味しい。
そして、このお店の名前にあるデリリウム「delirium」の語源は”種などが畝から逸れる” ということ。
そこから想像すると、レストランの名前としては、とてもユニークでこの上なく美味しいといった意味や、平均を遥かに上回るの美味しさといったニュアンスがこのお店の名前のデリリウムには込められているのだろう。
そして先にあげた、ローレン・オリバーのDelirium『デリリウム17』とか、イエスのThe Gates of Delirium『錯乱の扉』のように、芸術的というか、アーティスティックな響きもある。
そう考えると、最初に直感的に感じたようにdeliriumとdeliciousあるいはdelicateはあながち無関係とも言えない気がしてきた。
ベルジャンフリッツ(BELGIAN FRITES )が食べられるお店はデリリウムカフェ以外にも増えつつあるようだ。フリッツの専門店もできている。
言葉の意味については、カタカナ表記の外来語に錯乱されないよう注意深くありたいものだ。
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