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谷中霊園の徳川家霊廟: 移設された宝塔の謎

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以前にもこのブログに書いたが、上野の谷中霊園内の寛永寺墓域にあった徳川将軍家御裏方霊廟は発掘調査が行われて、調査報告書も出版されている。

だが墓域が広大であることや、調査が行われたのが25基というかなり多くの数になることから、移設するといっても場所の確保が難しいのではないかと思っていた。

現在、東京都立谷中霊園内に立っている案内図には「徳川家墓地(寛永寺)(Tokugawa Family Graveyard)」と記されているエリアは二箇所ある。

谷中霊園内の寛永寺徳川家墓域は西側と東側の二箇所ある

西側の徳川家墓域には、15代将軍徳川慶喜の墓もある。
東側の徳川家墓域には、清水徳川家、田安徳川家の墓があり、そのなかに、御裏方霊廟エリアがあった。
あったというのは、そこは現在では寛永寺徳川浄苑として一般に分譲されているからだ。寛永寺のウェブサイトでは、「新規特別墓所」分譲受付中となっている。

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墓域の一角に8角形の宝塔笠を発見

徳川浄苑を見に行ってきた。JR日暮里駅と鶯谷駅の中間あたりにあるので、日暮里駅から歩いて行った。
分譲受付中ということで、建てられているお墓はまだ少ないようだ。
徳川浄苑専用の駐車場もある。
高台にあるのでとても見晴らしが良い場所である。

残された宝塔の笠 遠くにスカイツリーが見える

周囲を回っていると、8角形の宝塔の笠が墓所の一角に置かれているのに気づいた。てっきり調査後はすべての宝塔は別の場所に移設されたと思っていたので、意外な発見であった。

宝塔の笠は誰のお墓のもの?

宝塔は、基礎、反花、塔身、笠、宝塔欠首、請花、宝珠など複数のパーツから組み立てられている。

誰の墓の宝塔なのかを特定するには、笠の部分だけでは難しい。

置かれていた宝塔の笠の頂点にある宝珠と言われるパーツは外されている。宝珠にもそれぞれ特徴があるので、それがついていれば判別は可能かもしれない。

この土地にあった宝塔で8角形の笠を持つ宝塔は4基あった。その中のどれかの笠であることは間違いない。

塔身と思われる物も笠の隣に置かれているが、ビニールシートに覆われてロープで縛られているため、模様を視認することはできない。ビニールシートに包まれているものの、形が8角形であることはわかるし、宝塔の笠との大きさのバランスからも、笠とセットになっていた塔身であることは間違いないだろう。

宝塔の笠の横に塔身と思われる物も置かれている。
後ろに日暮里駅前のタワーマンションが見える

この墓域の中には7基の宝塔があったが、その内6基は墓域外のどこかに移設、あるいは移動されている。しかし、それがどこなのかは明らかにはされていない。寛永寺の徳川将軍霊廟特別参拝に参加したとき、その件について尋ねていた人がいたが、明確な回答はなかった。谷中霊園のなかにある2箇所の徳川家墓域の中には存在しないことが確認できている。

寛永寺宝塔エリアの今後の変貌

徳川将軍家御裏方霊廟の調査が2007年から2008年にかけて行われ、それから約10年が経過しようとしている。

なぜ、宝塔の笠と、塔身がここに一基のみ残されているのだろうか?現在、徳川浄苑として分譲されていることも考えると、一基の宝塔のみを墓域のどこかに再構築するのだろうか?

宝塔の笠が置かれているのは分譲中の徳川浄苑の南端の方にあり、地盤も土がむき出しになっており、雑草もたくさん生えている。

墓域の中でも売り出されるのがまだ先になるエリアなのだろう。

今後、この宝塔の笠、および塔身がどうなっていくのか興味のあるところではある。

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